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2017年度入試 合格体験記

中学入試

  • 渋谷教育学園渋谷中学校/栄東中学校(東大クラス)/早稲田中学校 合格

    「努力は結果を裏切らない!」

    僕は、5年生の9月から本格的に4科を始めました。下巻の学習が丁度はじまる時だったので、上巻の内容のプリントを先生からいただき、家で勉強しました。6年生の後期になって、早稲田中と渋谷教育学園渋谷中のどちらを第一志望校にするか、両方とも偏差値は同じくらいで、どちらも難関校だったので迷いました。早稲田中の過去問は平成19年から10年分、渋谷教育学園渋谷中の過去問は平成19年から9年分をやりました。そして、過去問を解いた後は必ず、先生にチェックをしていただきました。特に国語の記述は自分でも判断できないことが多かったので、国語のE先生に採点をお願いし、出来なかった問題を夜遅くまで教えていただきました。過去問との相性は渋谷教育学園渋谷の方が良く、校風や教育方針もよかったので、渋谷教育学園渋谷を第一志望とし、2/1・2と受験することに決めました。2/2 14時に2/1の合格発表がありましたが、僕は1回目で合格していました。2/3は予定通り、早稲田中を受験しました。早稲田の過去問は9月からずっと解き続けてきて、1番力を入れてきた学校でした。だから、2/4の合格発表で掲示板に僕の受験番号を見つけた時は本当に嬉しかったです。努力は結果を裏切りません!皆さんも頑張って下さい。最後に城北スクール門前仲町校の先生方、本当にありがとうございました。心から感謝しています。

    保護者様より城北スクールに入塾するきっかけとなったのは、全国統一小学生テストでした。他の科目と比べ、国語が少し弱いとの指摘を受け、先生から入塾してみないかと誘われたのがきっかけでした。お試し期間を利用して、6月下旬から国算2科目でスタート、今思えば、これが中学受験の第一歩でした。元々、入塾する前から家で勉強する習慣は身についていましたが、塾で教えてくれるハイレベルな学習内容にたちまち魅了され、9月からは4教科で勉強したいと言い出しました。それからは4〜5年の予習シリーズの内容を家で追いかけながら、塾では5年下巻…という状況でしたので、本人も本当に大変だったと思います。6年生になると、合不合判定テストや他塾の模試を受けながら立ち位置を確認し、間違えた問題は何回も解き直しました。国語の記述が特に苦手でしたので、新6年生の3月からは個別で指導していただき、過去問を解くようになってからも、記述対策を徹底的にやっていただきました。これまで国語で足を引っ張ることが多かったのですが、3校の受験では国語で高得点をマーク、その成果を発揮することができましたのも、先生方のご指導のおかげと深く感謝しております。1年半という短い期間でしたが、本当にありがとうございました。

  • 慶應義塾中等部/栄東中学校(東大選抜)/東邦大学付属東邦中学校/芝中学校 合格

    「2年間の受験勉強」

    僕が城北スクールに通い始めたのは5年生の春からでした。初めは適性と受験算数を受けていましたが、まだ志望校は定まっていませんでした。ところが、5年生の冬ごろから私立の中学校に通いたいと思い、そのための勉強を始めました。初めは志望校を明治大学や法政大学の系列の中学校にしていましたが、K教室長に早慶レベルまで十分狙えると言われ、慶應義塾中等部を第一志望にしました。そして夏期講習が終わり、過去問演習を始めましたが、点数があまり伸びずに悩んでいました。しかし、教室長のK先生や算数のI先生とK先生とS先生、国語のY先生、理科のK先生、社会のN先生からのアドバイスをいただき、苦難を乗り越えることができました。そして最後には第一志望の慶應義塾中等部とその他の志望校に全て合格することができました。これは城北スクールの先生方のおかげです。本当にありがとうございました。そして受験生のみなさん、がんばってください。

  • 渋谷教育学園幕張中学校/市川中学校 合格

    「志望校合格への道」

    僕は、4年生のときに城北スクールに入塾しました。4・5年生の時は野球ばかりで志望校もなく、とりあえず出された問題を解いているといった感じでした。6年生になり、やっと志望校を考え始め、最初は市川中を目指して勉強を進めていました。7月の合不合テストで渋谷幕張中に行ったときには、いい学校だなとは思ったものの、手の届かない学校だとしか考えていませんでした。しかし、夏期講習や合宿で基本的なことを繰り返したことで、9月の合不合テストでは偏差値68を取れました。このときに、本気で渋幕を志望校として考え始め、過去問を買い、本格的に第一志望校としての勉強を始めました。初めは合格最低点より20点ほど低かったのですが、先生方にアドバイスをもらい、やっていくうちに徐々に差が縮まっていき、何度か合格最低点を超えられるようになりました。そして、冬期講習や正月特訓で最後の仕上げをしました。最初の入試は1月20日の市川中で、受験者がとても多く緊張しましたが、墨田校の先生が応援に来てくれたので、リラックスして受験に臨め、無事合格することができました。そして1月22日、第一志望の渋幕中の入試です。前日の夜は緊張してあまり眠れませんでしたが、試験会場に着くと、直前まで校舎でN先生やH先生に対策してもらったことを思い出し、意外と緊張せず臨めました。国語と算数が過去問よりもできた気がしたので、社会と理科も少し気楽に受けることができました。入試が終わって、家に帰ってから、一人でいてもそわそわするので塾に行って解き直しをしてみました。ケアレスミスを3問していたことが分かり、ドキドキしました。合格発表の日、学校からダッシュで家に帰り、発表を見ると、自分の受験番号が載っていました。嬉しくて何度もさけんでしまいました。3年間、野球を続けながらも合格できたのは、城北スクールのおかげです。市川中で十分だと思っていた志望校を渋幕中に引き上げてもらい、無事合格に導いてもらえました。本当にありがとうございました。

  • 浦和明の星中学校/開智中学校/大妻中学校 合格

    「まさかの大逆転合格!」

    私は5年生の夏期講習から、城北スクールに通い始めました。当時他の塾に通っていたのですが、あまり成績が伸びず悩んでいました。そんな時、全国統一小学生テストをきっかけに、城北スクールのことを知りました。体験授業では、先生との距離が近く、楽しく勉強している生徒のみんなを見て、この塾に入ることを決めました。しかし、入塾当初は私は暗記物が苦手で、プリントなどでもいつも最後まで残っていました。組み分けテストでも、目指すC組には一度も行けず、万年B組でした。日が経つにつれ、周りの生徒のみんなが暗記ができてくるようになり、私は一人浮いてくるようになりました。6年生の夏期講習を過ぎて、合不合テストでも、第一志望はいつも20%未満でした。それにも関わらず、私は友達と遊ぶほうを優先し、受験に対して中途半端な気持ちで取り組んでいました。そしてそんな私をずっと見ていた塾長の先生の一言が、私の気持ちを変えたのです。『こんな中途半端な気持ちじゃどこにも受からない!』私は気づきました。苦手なものから逃げていたことに。でも、本当はもう気づいていたのだと思います。そして私は家族にも協力してもらい、暗記物の強化をしました。家ではお父さんに私の苦手な歴史のプリントをつくってもらい、朝と夜にそのプリント、漢字、理科の暗記物を一緒にやりました。塾でも、過去問で間違えた部分の解説ノートの作り方を先生に教えてもらい、まとめるようにしました。そして最後の合不合テストでは、前回よりも50点も上げることができ、第一志望に何とか努力圏まで入ることができました。そして当日、私は不安を抱えて入試に向かいました。やりきった感じがしていなかったからです。その気持ちは入試にも影響しました。焦って、得意分野の算数で計算ミスを数問してしまったのです。私は合格発表を見に行く気になれず、お父さんに行ってもらいました。結果は不合格。まさかの第二志望も落としてしまっていたので、その一週間は気持ちが前向きになれず、家族に当たったりしてしまいました。先生にも、『後悔のないようにしなさい』と言われ、『このままじゃダメだ』と思い直し、また、暗記物を中心として勉強を始めました。そして2回目のチャレンジをしました。家族には入試の前に『やりきったから、落ちても悔いはない。』と言って、臨みました。そして合格発表の日。自分の番号を見つけた瞬間、あまりの嬉しさに、周りの目を気にせず、泣いて喜びました。先生にもすぐに電話をしたら、『よく耐えた!おめでとう!!』と言ってもらいました。わんわん泣いてしまったので、自分でも何を言っていたか分かりませんでした。この2年間、何度も志望校を変えようかと、家族と話し合いました。でも、私はこの学校に行きたいという想いが日に日に増していき、諦めなかったからこそ、合格をつかむことができたのだと思います。私にこのことを教え、支えてくれた家族、そして今まで指導をして下さった城北スクールの先生方、本当にありがとうございました。

  • 東京学芸大附属竹早中学校 合格

    「自分の目標を忘れない」

    僕は、6年生になってから城北スクールに入塾しました。このとき、1年からずっと続けている野球も最後まで両立してがんばろうと決めました。塾に入ってすぐは、知らないこともたくさんあり、みんなに追いつけるか心配でしたが、先生が個別に教えてくれたのであせりませんでした。夏になると、野球の仲間が受験のためにどんどん野球を休み始めました。でも、僕は野球を続けました。勉強でおいていかれるのは怖かったけど「文武両道」を貫き通したかったからです。毎日続く夏期講習と暑い中での野球の練習の両立はとても大変でした。秋になり模試の季節になりました。しかしなかなか点数は伸びず、合格率も30%くらいでした。このとき初めて、信念がゆらぎましたが、野球も受験も諦めませんでした。この頃から、過去問を解き始め、出題傾向や時間配分を考えるようにしました。解けない問題は先生に質問しました。力がついてきたなと感じるようになったのは12月に入ってからでした。しかし、受験前日に高熱を出し、力が出しきれるか不安になりました。受験当日プレッシャーを感じましたが野球の試合と同じだと思うと不思議と落ち着いて問題に取り組めました。そして無事第一志望に合格することができました。受験を通して、大切なのは最後の日に力を出しきること、そのために体調を管理すること、弱点を見つけて克服すること、自分の目標を見失わないことだと知りました。いいライバルであり、いい友達だった塾の仲間と、野球で授業に出られないことがあっても最後まで教えてくれた先生方にとても感謝しています。

  • 吉祥女子中学校/東京農業大学第一中学校/栄東中学校(東大クラス) 合格

    「壁を乗り越える努力」

    母に中学受験をするか聞かれたことから、私の中学受験が始まりました。最初、塾に行ったときは女の子が一人いて追いつけるか不安になりました。その後、五人程の人が入塾してきて負けたくないという気持ちで頑張るようになりました。文化祭に行き、いいなと思った学校の偏差値にも徐々に近づいていっているようでうれしかったです。塾では、講習やサンデースクール、合宿などで復習をするということも増えましたが、解けたときはとてもうれしかったです。そして迎えた入試で私は、第一志望だった吉祥女子中学校を一回、二回、三回と連敗するという結果でした。言いようの無いような悔しさと、どこがいけなかったのだろうかという不安で押しつぶされそうになりました。そして、二月七日、母に一本の電話がかかってきました。繰り上げ合格になったということでした。電話では、一回目も二回目も三回目もあと一、二問とれていたら合格していたということでした。その時は、喜びと、もう少しで行けたのにという悔しさで少し複雑な気持ちになりました。私にとって受験とは、人生で初めてぶち当たったとてつもなく大きな壁でした。今、中学受験に向けて努力している皆さんには私のような繰り上げ合格となるのではなく、一発で合格して喜べるという経験をしてほしいです。また、たとえ一発で合格出来なかったとしても、努力をしないで悔しいと思うのではなく、全力を出してやったのに落ちてしまったことが悔しいと思えるように努力をすることが必要だと思います。合格をつかみ取れるよう頑張ってください!

  • 青山学院中等部/巣鴨中学校/栄東中学校/専修大学松戸中学校 合格

    「僕の受験勉強」

    僕は、小学5年生の2月に城北スクールに入塾しました。そして約2年半受験勉強をし続けていましたが、特別なことは何一つしていません。自分が楽しんで勉強することを第一としてやってきました。特に、城北スクールは緊迫した雰囲気もなく、楽しみながら勉強をすることができました。僕が受験勉強をする上で大事にしてきたことは2つあります。1つは、問題を解くときには、必ず考え抜いてやることです。自分の実力に合わない問題でも、あるだけの知識を使って解くようにしました。そして、問題を解き終わった後、解説は必ず塾の先生にしてもらうようにしました。2つ目は、間違えた問題を必ずもう一度解くことです。復習は必ず身になります。そして少しでも復習を効果的にするために、1~2日空けて問題を解くようにしました。ここまで頑張れたのは、先生方の後ろ盾があってこそです。城北スクールの先生方、本当にありがとうございました。

  • 大妻中学校/春日部共栄中学校/麗澤中学校/大妻中野中学校 合格

    「合格できた3つの理由」

    私は、城北スクールに四年生の春期講習から入塾しました。四年生や五年生のころはあまり真剣に受験ということを理解していませんでした。それでも第一志望校に合格できたのだから、何か理由があるのではないかと思い考えてみました。すると、三つのことが考えられました。まず一つ目の理由は、六年生で「受験」ということをしっかり意識して勉強し、サンデースクールや、夏合宿、正月缶詰特訓などに積極的に参加したことではないでしょうか。どの行事も決して楽ではありませんでした。私は四科受験で、四科目のうち算数が苦手だったので、サンデースクールではだいぶギリギリのところでした。それでもふざけすぎず、根詰めすぎずといった感じで勉強ができたので良かったと思います。次に二つ目は「大妻に行きたい」という気持ちだと思います。二月一日の第一回目の試験のときは不合格で、わざわざ講堂に行き合格発表を見に行っていたので、落ち込み度が尚更すごかったです。でもわざわざ合格発表を見に行ったことで次の日で終わらせようという気持ちが増して第二回のテストで合格することができました。そして三つ目は、親や塾の先生達、友達の支えがあったからだと思います。受験勉強を始めてから入試を行って中学校に入学するまですごく長い時間、受験のために勉強を続けるのは難しいことなので、その時に声かけをしてもらったり、励ましてもらうことはその人にとって、とても良い支えになると思います。最後に約二年間城北スクールで中学受験の勉強ができ、そして大妻中学校に合格することができてすごく嬉しかったです。

  • 栄東中学校/専修大松戸中学校/成城中学校 合格

    「神ってる!」

    私は、小学5年生の冬期講習をきっかけに城北スクールに入塾しました。もともと兄が城北スクールに通っていたので、私も塾に通い始め、中学受験をする決心をしました。中学受験を始める時期としてはかなり遅く、今の私では、兄が合格した学校に入るのは難しいと思いました。今までは学校の宿題をやっていただけで、別にドリルをやっていたりしていた訳ではありませんでした。しかし、しっかりと塾で出された宿題をやっていると、成績が少しずつ上がってきました。それでも合不合判定テストでは私の志望校の合格率は良いときでも40%ぐらいでした。そのテストの結果を見て、もっとやらなければならないと思い、普段よりも更に勉強をし始めました。特に夏期講習を頑張りました。一日10時間勉強の日々が20日ほど続きとても辛かったです。しかしその経験がバネになったと思います。そしていよいよ入試の日。学校にも大勢の先生が来てくださり応援してくれました。合格確率が40%ほどだった栄東中学校にも無事に合格することができました。先生にも「よく1年でここまで頑張った!!おめでとう。」とメッセージをもらえたので、とても嬉しかったです。本当に先生方ありがとうございました。

  • 東邦大学付属東邦中学校/芝浦工業大学柏中学校 合格

    「みんなに支えられた受験」

    僕は中学受験をした兄を見て、自分もやってみたいと思い、4年生の冬期講習から入塾しました。初めは緊張していましたが、先生が面白い方たちで勉強が楽しく感じられました。僕の志望校は5年生の9月に東邦中学の文化祭を見て決めました。その時の組分けテストではBクラスが多く、時々Cクラスに行くというような感じでした。そして6年生の合不合判定テストでは4、7、9月までは順調でしたが、10、11、12月の合不合判定テストでは、合格確率が20%ほどまで下がってしまい、立ち直れなくなりそうでした。しかし、ここまで来たらやるしかないと思い、冬期講習の勉強や、過去問を徹底的にやりこなしました。特に過去問に関しては、授業が始まる前、後など大事な時間を割いて先生が見てくださりました。そうして臨んだ1月21日の東邦入試、僕は12月1日の推薦入試で落ちてしまっていたので、その不合格が自分の心に火をつけ、絶対合格してやると思って試験に取り組んでいました。2日後の合格発表では、僕は別の中学校の入試を受けていたので、自分だけが結果を知らない状況でした。終わってお母さんのところへ行くと、「今から東邦に行くよ。」と言われ、合格していたことが分かりとても嬉しかったです。帰ってすぐに塾に行くと、塾の先生も喜んでくれました。この2年間色々なことがありましたが、友達や先生、家族、全てに恵まれ、合格することができ、最後まで諦めず頑張って良かったと思います。今まで本当にありがとうございました。

  • 共立女子中学校/獨協埼玉中学校/三輪田中学校/十文字中学校 合格

    「大逆転!」

    私は、4年生の冬期講習から入塾しました。初めは、受験を意識せずに勉強していました。組み分けテストでは、ずっとAクラス。6年生最後の組み分けテストではAクラスの14組。一番下のクラスで終わりました。第一志望校はなかなか決まりませんでしたが、教室長がすすめてくれた共立女子中学校に興味を持ち、そこに決まりました。過去問では、全く点数がとれませんでした。しかし、教室長がていねいに教えてくれ、算数が最強の武器となりました。でも、私はどうしても理科と社会ができず、知識が全く頭に入っていませんでした。そのことにあせり、教室長や他の先生たちの言う通りに勉強しました。すると、だんだん点数が上がっていき、楽しくなっていきました。過去問の合計点も最低点を上回るようになりました。でも、最後の合不合では共立の合格可能性は20%未満。共立をあきらめきれないので、2月1日に他の学校で合格を取ることができ、いよいよ本命。2月2日、私は人数の多さにびっくりしました。終了後、すぐに塾へ行き、念のためC日程の勉強をしていました。B日程の結果は不合格。友達の顔を見ると、涙があふれてきました。残りの時間、教室長は論文と面接を教えてくれました。また、家でも面接の練習をしました。そして、C日程。とても緊張しましたが、今までやってきたことを出し切りました。結果は奇跡の合格。私は信じられませんでした。これまでがんばってよかったなと思いました。亀有校の先生方のおかげです。本当にありがとうございました。

    保護者様より2歳上の息子が転塾で亀有校へ入塾したのは2年前。受験まであと1か月の時でした。基本問題も危ういという息子に対して「やる気があれば合格させます」と力強く言っていただき、見事合格することができました。その後すぐ娘も新5年生から迷いなく入塾させました。「女子校を受験したい」。6年の夏まではそれしか決まっておらず、親の勧める学校には乗り気がありませんでした。しかし教室長に「共立はどう?」と勧められた時から、娘の第1志望は共立女子になりました。学校見学・オープンスクール・文化祭。参加するたび想いが膨らんでいくのがよく分かりました。しかし理社が苦手な中での4科受験は決して楽ではありませんでした。過去問では思うように点が伸びず、合不合でも合格可能性は常に20%と、想いとは反比例して現実は厳しかったです。2月の併願も慎重にならざるを得ず、2・3日目のみの共立受験プラン。初日に抑え校の合格が取れ、なんとか共立合格!へのスタートラインに立つことができました。2日目のB日程は想定内の不合格。C日程の合科型・面接という試験科目は不安でもありましたが、却って想いを直接ぶつけられたのでしょう。結果は奇跡の合格。涙ってこんなに出るんだというくらい2人で抱き合って泣きました。この2年間、先の見えない時も多々ありました。そんな時亀有校ではすぐに面談を行ってくれてやるべきことを一緒に考えてくれました。またわが家では私が考えすぎて一杯になった時は夫の出番で夫と教室長の面談をお願いしていました。家族みんなが城北スクールに支えてもらい、受験を乗り切れたのだと思います。なぜあの時教室長のひと言であっさり共立を第1志望にしたのか。なかなか成績の伸びない娘のために先生方が努力してくださっていること、おとなしく人見知りな娘を理解し教室に溶け込めるように気を配っていただいていたこと。娘には充分すぎるほど伝わっていて、言葉には出さずとも先生方に全幅の信頼を寄せていたからなのだと今、思えます。共立合格、そして受験校全て合格。この合格が、結果として先生方への娘からの恩返しになったのかなと思います。本当にありがとうございました。

  • 都立小石川中等教育学校/開智中学校一貫(特待)/開智中学校先端(特待) 合格

    「第一志望校合格!」

    私が、城北スクールに入ったのは4年生の冬からでした。以前は、家で予習シリーズの勉強をしていたのですが、わからない所が増えてきて、兄が通っていた城北スクールに入塾することに決めました。6年生までは、私の志望校は開智中学校だけでした。しかし、1校だけではなく、他の学校も見てみようと思い、母の勧めで小石川中学校の文化祭に行ってみることにしました。すると、学校の雰囲気がとても良くて、私もこの学校に通ってみたいと考えるようになりました。しかし、これまで私立の勉強しかしてこなかった私は、公立の問題になかなか慣れることができませんでした。特に、作文は最初の頃は何時間たっても答案用紙が白紙のままということも多々あり、何度も先生に相談し、アドバイスをいただいたおかげでだんだん書けるようになってきました。試験当日は、とても緊張していましたが、これまでやってきたことをすべて出し切ることができたと思います。合格発表で自分の番号を見つけた時はとてもうれしかったです。これまで教えてくれた城北スクールの先生方のおかげだと思います。本当にありがとうございました。

  • 都立小石川中等教育学校/市川中学校/東邦大学付属東邦中学校/専修大松戸中学校 合格

    「短期間で引っ張ってくれた先生方に感謝」

    僕が入塾したのは、5年生の9月頃でした。入塾したきっかけは、学校の勉強では物足りなかった僕を見て、母が小石川中をすすめてくれたことです。勉強では、最初は私立の受験科で授業を受けていました。適性の勉強を受け始めたのは、6年生後半になってからで、作文を書き始めたのは11月頃だと思います。その中で気を付けたのは、記述の基本的な書き方をテンプレート化することです。個別指導授業では過去問演習や適性検査対策用の教材を解き続け、そのかいもあり、作文もすぐに書けるようになりました。僕が合格できたのは、きっちり答えて丸をもらうべき問題と、時間を使うべきではない問題の区別がついていたからだと思います。合不合判定テストでの算数の最後の問題や、私立中の難しい問題を経験したことで、見てすぐに解くべき問題かが分かり、ペース配分を本番でも間違えなかったことが良かったのだと思います。5年生の後半と遅めの時期から受験勉強を始めましたが、短期間で僕を引っ張ってくれた先生方、ありがとうございました。

  • 都立両国高等学校附属中学校/安田学園中学校(先進特待コース) 合格

    「先生方にも友達にも感謝」

    私は4年生の夏期講習から、城北スクール亀戸校に入塾をしました。初めは勉強を教えてもらうことにとても緊張していました。でも、面白い先生や優しい先生がたくさんいらっしゃって、だんだんと打ち解けていきました。学年が上がり、受検勉強が本格的になってくると共に、仲間が増えていきました。私たちはとても気が合って、楽しく、でも授業では競い合うなど、めりはりをつけて勉強を進めていきました。しかし、模擬検査ではあまり良い点数をとることができず、合格できるかどうか不安でした。このことをI先生に相談してみると、「この経験をバネにして、次にいかせるよう頑張ろうよ」と私を励ましてくれました。それから私は、I先生から言われた言葉を胸に刻み、朝早くから夜遅くまで猛勉強をしました。そして迎えた2月3日本番。私は今まで努力して頑張ってきた自分に自信を持とうと思いましたが、やはり心配で、不安でたまりませんでした。そんな時、自分を応援してくれた、先生や仲間たちの顔が思い浮かびました。本当に最後まで私を支えてくれたみんな、みんなのためにも私は必ず合格するんだと強い意志を持って検査に臨みました。検査は、適性Ⅰと適性Ⅱまでは順調に問題が解けたのですが、適性Ⅲは問題が少ししか解けず、わからないまま検査は終了しました。合格発表を待つ間、私はくじけそうでした。もしかしたらダメだったのではと不安でしたが、A先生が優しい言葉をかけてくれました。たくさん会話をして、たくさん笑って、私は元気をもらいました。合格すると信じていれば、合格できると思って発表を待ちました。ついに合格発表の時がきました。おそるおそる目を開けて、自分の番号を探すと、ありました!最高の気分でした。先生方に報告すると、とても喜んでくれました。私もとてもうれしかったです。今まで一生懸命勉強を教えてくれてありがとうございます。何度も迷惑をかけても、根気強く教えてくれたおかげで、最高の結果を手にすることができました。それは今まで私のことを信じてくれた、先生方や仲間、家族のおかげです。本当にありがとうございました。この塾に来て、みんなに出会えて、一緒に勉強できてとても楽しかったです。本当にありがとうございました。

  • 都立両国高等学校附属中学校 合格

    「がんばった両国受検」

    市川中学に受かった兄と、長い間この塾にはお世話になっていました。勉強が難しかったりめんどうくさかったりして、勉強をせずに怒られたことや、もっと友達と遊びたいと思いながら塾に行ったこと、その全てを乗りこえて、倍率が非常に高い両国中学に合格できました。受検会場では、とても緊張していたけれど、いつも通り問題を解くことができました。合格したときは、みんなおどろいたり喜んだりして「おめでとう」と言ってくれました。2年間、適性の授業1本で、『志望校に合格する!』という思いでがんばってきました。この合格で、さらに新しい知識や新しい将来の選択肢を増やし、両国中に通う立派な中学生になりたいです。

    保護者様より年の割には幼く、飽きっぽい娘に、精神的に強くなって欲しいと思い、兄がお世話になった城北スクールに入塾しました。親が決めた受検ということもあり、本人が自覚を持つのが難しく、苦労しました。宿題も復習も頑なにやろうとせず、面談のたびに頭の痛い思いをしました。転機がきたのは6年生の夏でした。先生の熱気のあるご指導のもと、ようやく「問題が解けるようになりたい」という意識がめばえ、自分から机に向かうようになっていきました。勉強の管理や親子関係に悩み、受検1週間前にはインフルエンザにかかったりもし、苦労の多い2年間でした。辛抱強くご指導してくださった先生方には心より感謝します。受検を通して、娘は大きく成長することができました。

  • 都立白鷗高校附属中学校/駒込中学校(スーパーアドバンス)/貞静学園中学校(特待) 合格

    「私の都立戦闘記」

    私が白鷗高校を目指したのは小4のころで、本格的に勉強を始めたのは小5の終わりです。当時は作文が大の苦手科目で、いつも成績が悪かったです。そんな中、城北スクールに入塾しました。入塾したてのころは、問題がとても難しく見えて、訳が分かりませんでした。特に作文は、何を書けばよいのか、どのような表現をすればよいのか悩んでいました。そんな時、適性Ⅰの担当をしてくださったM先生が、「模範解答を暗記する『暗記作文』をしてみるといいよ」とアドバイスをしてくださいました。さっそく暗記作文に取り組んでみると、文章の構成、表現のしかた、終わりかたを知ることができて、良い成績を収めることができました。ですが問題は適性Ⅱにありました。計算問題で、どのように式を立てれば良いのか分かりませんでした。そんな時は適性Ⅱを担当してくださったE先生が、式の理屈、早く解くための公式、計算の工夫をも教えてくださり、適性Ⅱの成績も上がりました。さらには、志願理由書も見てくださり、最高の志願理由書を作ることができ、自信をつけることができました。試験当日は、M先生が会場まで来てくださり、最後の気合入れをしてもらって嬉しかったです。私のことを最後まで見てくださり、質問にはきちんと応えてくださったM先生、E先生に出会っていなかったら私の合格は無かったと思います。本当にありがとうございました。

  • 都立白鷗高等学校附属中学校 合格

    「基礎を見直し苦手を克服」

    私はあまり勉強が好きではありませんでした。6年生の10月くらいまで時間があれば遊んでいました。しかし、あるとき成績表を見て、このままでは危ないと思い、勉強をもっとしようと思い始めました。その時まで、偏差値50を越えたことはありません。塾の授業では過去問を解いて、解説をしてもらいました。その時も過去問の点数は2~3割でした。だから、基礎から勉強をしました。すると理数系の点数が少し上がりました。また、難しそうな本を読んだり、新聞で要約の練習もしました。そして、正月特訓や直前対策にも参加しました。授業では私の苦手な算数をわかりやすく教えてくれました。2月2日の入試前日まで自習室で自習して、白鷗の問題を解くためのポイントなどを教えてもらいました。2月3日の入試当日は、これまで教えてもらったことを最大限いかせるようにノートや教科書を見直しました。また、会場では友達ができて、緊張せずに問題に取り組むことができました。みなさん、偏差値が40の私でも、基礎を見直してポイントを教えてもらい、合格をすることができました。ですから、自分が取り組んできた勉強の内容を信じて、最後まで諦めずに頑張ってほしいと思います。

  • 都立富士高校附属中学校/郁文館中学校(特進) 合格

    「志望校全制覇」

    私が合格したいと思っていたのは、都立富士高校附属中学校でした。しかし、その合格には、様々な努力を必要とし、かつ、たくさんの人にお世話になる必要がありました。私は、六年生の始めは「受験」という意識が少なく、勉強の量もあまり多くありませんでした。そのため、適性模試では偏差値が右肩下がりでした。私は、成績が下がっていることをあらためて見直し、受験という意識が強くなり、寝る時間をけずり勉強の量を大幅に増やしました。その結果合格できたと思います。また、この合格は、城北スクールの先生、学校の先生・受験をさせてくれた父や母などのおかげだと思います。私は、この一生に一度の経験から「受験は、自分との勝負」だと思います。なぜなら、あのとき成績が下がっていることを見直していなかったら合格できていないと思うからです。これからの受験生のみなさんも、受験はたくさんの人のおかげであるからできる、ということを忘れずに、自分に負けないようにがんばってください。

  • 千代田区立九段中等教育学校/開智日本橋中学校 合格

    「感謝の気持ち」

    ぼくは、五年生の冬期講習から城北スクールに入りました。最初は、作文を書いたり、記述の問題を解いたりすることが苦手でした。しかし、授業を受けることで、文を書くことが楽しくなっていきました。六年生になると、適性の授業が文系と理系に分かれて、より本格的に勉強するようになりました。そして、たくさんの先生方にたくさんのアドバイスを頂き、成績もだんだん上がっていきました。模擬試験では、最初はあまり点数が良くありませんでしたが、自分の弱点を見つけることで、苦手を減らすことができ、確実に点を取れるようになりました。ぼくが、九段中に合格できたのは、今まで支えてくれた先生方のおかげです。たくさんのアドバイスをしてくれて本当にありがとうございました。

高校入試

  • 都立西高校 合格

    「城北スクールとともに叶えた夢」

    合格発表を見たとき、私は喜びとともに感謝が湧き上がってきました。私がこの城北スクールに入ったのは小学校4年生の夏頃。つまり、約6年この塾に通っています。私にとって塾は学校でもあり、家でもあるような、不思議で気のおけない場所です。なので、自分の合格が決まったときは、城北スクールの先生に感謝を伝えずにはいられませんでした。合格を伝えたとき、先生方は笑顔で祝福してくれました。嬉しさが何倍にも増えた気がしました。城北スクールの先生方は様々な個性を持っていらっしゃると思います。その上で、先生方全員に共通しているのは「生徒を一番に考える優しさ」だと思います。自分の個性と優しさで生徒一人一人の良さを伸ばし、苦手を無くしてくれます。私は、この先生方の優しさに何度も救われました。表立って褒めずとも、私を陰で見守り、応援してくれるような優しさがありました。本当にお世話になったと思います。私は将来医療関係の職に就きたいと考えています。これを現実にするには、たくさんの努力が必要だと思います。何度も壁にぶつかると思います。そんなときは城北スクールでの先生方や友達との思い出を胸に、乗り越えていこうと思います。第一志望校合格の夢を叶えてくださり、本当にありがとうございました。長い間、私を支えてくださり、ありがとうございました。

    保護者様より娘が都立西高を第一志望校に決めたのは中3の秋でした。それからは、西高合格に向け、先生方のご指導のもと勉強に励んでいました。娘は城北スクールが大好きで、先生方を信頼し尊敬しており、少しでも不安があると塾へ行くことでその不安を払拭できていたと思います。指導時間を惜しみなく費やし、とても良い結果に導いていただいた先生方には心から感謝しております。本当にありがとうございました。

  • 都立戸山高校/宝仙学園(理数インター) 合格

    「激動の一年」

    私の受験勉強は「戸山高校に行きたい」と思い始めたのがきっかけでした。いざ塾に入ってみると自分のレベルの低さに気づき中学受験の時に一緒のクラスにいた友達がすごく意識が高く驚きました。当時の自分はそんなSクラスにもいられない状況で先生に大変厳しく怒られたのを覚えています。そして、私は中2の冬休みにまずSクラスに居なかった時にみんながこなしていた分の国語をやらなくてはいけないと思いました。なので先生から教材を借り自習室でひたすら解いていました。部活を引退してからの夏休みは英語の総復習に時間を割きました。先生からは中1の英語からやり直せと言われました。なので私は先生から勧めてもらった教材を夏休み中、何周も何周もやって英語の基礎を徹底的に固めました。その甲斐あって、夏休み明けの月例テストでは英語の偏差値が10以上も上がっていました。しかし、少しずつ成績が上がったとはいえV模擬での判定はずっと変わりませんでした。年が明けてからは私立高校の対策が始まりました。だんだん日が経つにつれ過去問の点数は上がっていきました。しかし結果は不合格でした。その時、私は戸山高校よりもレベルが下の私立高校の不合格のダメージは大きく、泣きながら先生に報告しました。でも先生は私に不安を一気に振り払ってくれる一言をくれました。それは「君は3科目では勝てないかもしれないが5科目ならライバル達に勝つことができる。君の理社は城北スクールで一番だ。」です。これに私は背中を押され受験当日まで迷うことなく突き進む事ができました。私の合格は厳しくも温かく私を信じて見守ってくれた先生と最後まで目標を下げずに努力してきた自分がいたからだと思います。長い間、本当にありがとうございました。

  • 都立青山高校/東洋高校 合格

    「伝えたい2つのこと」

    これから高校受験をする皆さんに、伝えたいことが2つあります。まず1つ目は、「志望校に合格する方法」です。言い方は胡散臭いかもしれませんが、騙されたと思って聞いてみてください。ずばりその方法とは「自己分析」です。具体的に言うと、模試や日頃の授業などで、自分の得意、不得意を明確にすることです。ここでの「明確」とは、自分の得意、不得意な教科を見つけ出すことではありません。それぞれの教科の中で「自分はこの分野はできる」「自分は解法が分かるのに計算ミスが多い」といった本当に具体的な部分を洗い出すことです。実際、僕は模試などの数学で、証明は完璧に取れているのに、計算部分がうまくいかないという傾向をつかみ、全国の公立高校入試問題の大問1をとにかくたくさんこなしました。そして、直前では計算ミスをほぼ0にし、苦手教科ながら半分以上の点数は確実に取れるようになりました。もちろん、得意な部分を向上させようと努力することも大事です。しっかり自己分析をして、自分のすべてを漏れなく知っている状態にしましょう。そして、自分なりの勉強法を見出して、苦手な部分を減らしていってください。そうすれば志望校に合格できますよ。2つ目に伝えたいことは、「私立の学校は入念に調べるべき!」ということです。僕が併願校として受験した東洋高校は、中高一貫校ではない私立高校です。僕はみんなが初対面、という環境が良かったのでこの学校にしましたが、後から調べてみると、新入生は別校舎の学校や、高入生の割合が非常に高い学校など、自分の納得のいく条件の学校がたくさんありました。それが原因で僕は本番前にとても不安になってしまったのです。併願校の受験は、本命校の受験に直結します。自分の精神状態もそうです。「併願対策は万全に!」僕がここで伝えたいことは以上です。ところで、本番は皆さんが思っている以上にワクワクするものです。是非、自分を見失わないよう、そして自分への自信を忘れないよう頑張ってください。城北スクールの先輩として、心から応援しています

  • 都立戸山高校/淑徳巣鴨高校(アルティメットコース) 合格

    「努力の結晶」

    私は、小学5年生の冬期講習から城北スクールに通いました。最初の頃は漢字も書けず、毎回の漢字テストでは不合格ばかりでした。とても悔しかったので、漢字の勉強は必死にやりました。小学6年生の夏頃には、漢字テストも合格ばかりとれるようになり、読解問題を勉強しないといけないと思った、そんな時K先生と出会いました。中学生になると、K先生の英語の授業が始まり、単語は満点以外認めないと言われ、焦ったのを覚えています。でも、その影響で英語に関しての意識は高かったと思います。中学2年生の冬に塾の面談がありました。そのときK先生には内申を上げることを言われました。内申を上げる秘訣は、学校の先生に何が足りないのかを聞いて回ることです。もちろん、実践しなければいけませんが。とにかく当時の私は内申を上げることだけを考え、学力は塾まかせでした。3年生の夏、努力が実り、内申が10も上がったので、戸山高校を志望することができました。夏合宿も含め、夏休み中は朝から晩まで勉強漬けでした。夏が終わって、日曜日はサンデースクールに行き、授業のない日は塾にずっといました。VもぎではC判定がずっと続き、自信を失うときもありました。毎日塾に行って意味なんてあるのかと思ったこともあります。そういう気持ちはK先生には話すことが出来て落ち着きを取り戻すことができました。先生からは「最後に勝つのは貫いた人だ」と言われ、ぶれること無く、入試当日を迎えることができました。ほぼ不可能と言われた受験でしたが、家族の協力と塾の先生方が支えてくれたので合格することができました。

  • 都立新宿高校/國學院高校/朋優学院高校 合格

    「There is a will, there is a way.」

    私は、中学2年生の夏期講習の時に城北スクールに入塾しました。入塾する前は、自分の偏差値を知らなかったので、自分が今どのくらいのレベルにいるのか分かりませんでした。だから、家ではほとんど勉強をせず、以前通っていた塾でしか勉強をしない、という生活を続けていました。しかし、城北スクールに入塾し、自分の偏差値を知ることで、自分はどのくらいのレベルの高校を目指せるのか、自分は今、全体の中でどのくらいのレベルにいるのかを知ることができました。それから3年生になり、受験生になりました。今まで3教科しか勉強をしてこなかった私にとっては、理科社会を勉強するのはとても大変でした。また、サンデースクールも始まりました。週5日の塾通いとなり、だんだんと勉強する習慣がついていきました。それからしばらくして、3学期になり、私の志望校も決まっていく中で、大きな不安がありました。それは、私の内申点が第一志望校の基準に足りていない、ということです。だから、私は他の人よりも多く、試験当日に点数を取らなければなりませんでした。しかし、私は、数学・理科・社会があまりできなかったので、O先生やI先生にたくさん教えてもらい、入試に臨みました。入試本番では、自分の得意な教科だった国語と英語が最後まで解けなかったので「落ちたかもしれない」とずっと考えていました。だから、合格発表の日は落ち込んだ気持ちで結果を見に行きました。受かったと分かったときの率直な感想は「うそでしょ!?」でした。それでもやはり合格をしたのは嬉しくて泣いてしまいました。塾の先生方には、とても感謝をしています。本当にありがとうございました。次に受験をする新3年生のみなさん、心配なことはたくさんあると思います。でも、絶対に諦めないでください!最後に、学校の先生が言ってくれた、忘れられない言葉があるので紹介したいと思います。There

  • 都立両国高校 合格

    「成長」

    まさかここまでのびるとは。私は今でも信じられません。私が入塾したばかりの時は英語の偏差値が50を下回る時もあり、得意な数学も50後半でした。しかし、学校や部活、習い事の空手などやらねばならないことが多く、塾はどうしても後回しになってしまっていました。そんな日々が続きましたが、学校のテストで思うような点をとることができず、「勉強しよう」とだんだん思い始めました。しかしその時の私は英語や社会の単語をあまり覚えていなかったり、数学では解き方の分からない問題やケアレスミスなどが目立っていました。しかし、教室長をはじめとするいろいろな先生方に手伝ってもらい3年生の月例では5教科平均で偏差値が63ぐらいとれるようになりました。10月からは志望校も決まり大量の過去問を解き始めました。12月くらいからは学校からすぐに塾に行き過去問を解いていました。そして、冬期講習では苦手な単元を無くすことができました。推薦入試の練習も塾の先生や友達と授業が終わってからしていました。そんな日々の積み重ねがあったからこそ堂々と推薦入試に挑みそして受かることができました。これも日頃から私を支えてくれた友達や家族、そしてなにより城北スクールの先生方のおかげです。先生方、本当にありがとうございました。

  • 都立小松川高校/桜丘高校(特待) 合格

    「志望校に合格するまで」

    私は中3の初めに城北スクールに入塾しました。最初は、毎日のように部活があり、塾に来て授業を受けるだけで精一杯でした。しかし、部活を引退してからはさすがにもっと勉強しないといけないと思い、できるだけ毎日自習をしに来るようにしました。その結果、夏休み明けに受けたV模擬と月例テストでは偏差値を上げることができました。しかし、9月、10月は気が緩んでしまい、勉強時間が減っていきました。するとV模擬の偏差値が下がり、志望校の判定も下がってしまいました。ですが、このことがあってから「絶対に偏差値を取り戻してやる!」と思ってより勉強に励むことができました。結局、V模擬で下がる前に取れていた偏差値をもう一度取ることはできませんでしたが、V模擬が終わってからは点数を取ることに目標を切り替えました。先生に、この点数を取れれば絶対に受かるという点数を教えていただき、その点数を目標としました。しかし、その時の自分の点数は目標とかけ離れていました。そのため、まずは苦手である数学の点数を上げようと思い、重点的に勉強するようにしました。問題をたくさん解いて理解できない問題は先生に質問をするということを繰り返ししていくと、過去問で100点を取れるようになるまで成長することができました。また、先生方には相談に乗っていただいたり、励ましの言葉をかけていただいたりと勉強面以外でもお世話になりました。私は、城北スクールに入塾して本当に良かったと思っています。今まで指導してくださった城北スクールの先生方、本当にありがとうございました。

  • 中央大杉並高校 合格

    「ありがとうございました」

    私が城北スクールを選んだ理由は、「家から近いから」という単純なことからでした。中2になり、受験を意識し始めた頃、この塾の体験授業を受けたのがすべてのはじまりでした。すぐに先生方やクラスの生徒とうちとけましたが、受験に向けて大きな壁にぶつかりました。1つ目は、学校の内申が低いことでした。当初は都立小松川高校に行けるだけで十分だ、と考えていた私も、両親も、さすがに低すぎる内申に危機感をもちました。定期テストへの姿勢をかえ、順位を40位上げたままキープし続けた結果、33だった内申を42まで上げることができました。私の志望校に、内申は直接的な影響をしていませんが、自信へとつなげてくれました。2つ目は、問題を解くのが遅いことです。わかる問題も、時間があればの話でした。英語の長文を読むのが遅い。そもそも文字を書くのが遅い。普段からの行動のほとんどが、私はゆっくりでした。そんな状態で中大杉並高校など、夢のまた夢だったのですが、恩師の特訓により、無理矢理な注文に応えていくなかで速くなりました。緊張感があり、少し怖く同時におもしろく、楽しく、よく褒めてくれ、「この先生だったら、絶対に信じてついていけば」と思える先生でした。他教科の先生方もそうです。楽しく、仲が良く、距離がとても近い先生ばかりでした。城北スクールの一番の魅力はそこだと思います。私はこの塾で良かったと胸をはって言えます。これからもお世話になるつもりです。入試で結局頑張るのは自分だ、と言う人がいると思います。が、私はこの塾で関わってくださった方々に引っぱられ、支えられたから、ここまで来れ、合格したのだと思います。単純な理由でこの塾を選んだけど、ここで本当に良かったと思います。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

  • 市川高校 合格

    「受験までの努力」

    私が城北スクールに入塾したのは小学生の時でした。最初は知らない人ばかりで行くのが苦しかったですが、段々と慣れてきました。時は過ぎて中学三年生になりました。中学三年生になった時、今までの塾長が異動になり、新しい塾長がくることになりました。受験の年なのに新しい人になって大丈夫かなと心配でしたが、授業も相談も親切にしてくれました。その塾長との進路相談の時にすすめられたのが市川高校でした。市川高校は千葉県でも有数の私立高校で合格は厳しいと思っていました。ですが、学校説明会やスキー部があることを知って、この学校に行きたいと思うようになりました。それから夏期合宿やサンデースクール、正月特訓などを受け、どんどんと力をつけていきました。授業の無い日は塾に自習しに来たりと苦しかったですが、友達の支えもあり、乗り越えることが出来ました。そして受験本番、今まで学んできたことを活かすことができ、無事合格することが出来ました。毎週のサンデースクールは大変で、一日中勉強づけになった合宿はまるで拷問のようでしたが、そこで学んだことは多く、苦しんだ分だけ知識を得ることが出来ました。市川高校に合格することが出来てよかったです。今まで教えてくださった先生方、ありがとうございました。

  • 青山学院高等部/東洋高校 合格

    「基礎がどれだけ大切か」

    私は中1の時に、この城北スクールに入塾しました。中学校の部活がとても忙しく(言い訳かもしれませんが・・・)家で自学をする時間がありませんでした。その分、日々の授業の中で、先生の話をしっかり聞いて、1・2年生の時に基礎をしっかり身につけていきました。それから3年生になり、部活も引退して、家では授業でやった問題の解き直しを中心に勉強をしていました。ところで、私の第1志望の高校ですが、実は、都立高校でした。入学することになった青山学院はチャレンジで受験したのです。「自分の実力を知りたい」と思っていたため、過去問も解かずに本番に臨みました。絶対に合格しないだろうと思っていましたが、見事合格することができました。なぜ過去問も解かずに難しい私立の問題を解けたのかを考えてみると、1年生の時から築いてきた基礎があったからだと思います。そして、基礎から青山学院の問題を解けるようなところまで指導してくれた城北スクールの先生方に、とても感謝しています。ありがとうございました。

  • 明治大学付属明治高校/東海大付属浦安高校/専修大松戸高校 合格

    「自分と闘い続けた1年間」

    私にとって、城北スクールでの中学3年生での1年間は、とても辛かったですが、とても充実した1年間だったと思いました。2年生から3年生に上がったとき、英語の担当がH先生に代わりました。H先生はそれまでの先生に比べると2倍ぐらい厳しい先生でした。N先生の数学と合わせて、質・量ともに厳しいものになりました。夏期・冬期講習はもちろんのこと、夏の合宿や正月特訓など厳しさに何度も心が折れそうになることがありました。でも私には成し遂げたい目標があったので、絶対に折れまいと先生方についていきました。そして入試が始まり、まず千葉で2校受け、次に東京で第1志望の高校を受けました。先生方についていったおかげで第1志望校に合格できました。この塾で、今の先生方に出会えて本当によかったと思います。城北スクールは最高の塾です!本当にありがとうございました。

※webサイトに掲載している合格体験記は一部です。

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